このタイトルが合っているのかは疑問はありますが
そろそろ、ウディ夫と膵臓癌の告知を受けて過ごした13ヶ月間のことを書いていこうかと・・・
2023年6月下旬に、SMSでウディ夫から
下記メッセージと、紹介状の写真が送られてきました。
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連絡ごめんなさい。急ぎ共有です。
あまりにも胃が痛く今日胃カメラと
その後のエコーとCTで検査したとこ、ステージ3~4の膵臓癌になっていて
それが、十二指腸にも浸潤して潰瘍になっていた。
リンパ節にも転移していて、もう抗がん剤治療しかありませんでした。
もう別れているし、気にする必要はありませんが、
生活費や家賃もできるだけ払い続けますが、どうなるか自分でもわかりません。
本当に引っ越しを考えていただく必要が出てきてしまいました。
申し訳ありません。
くれぐれもこれは嘘ではありません。最後までごめんなさい。
紹介状しか今はないので、診断書は追って見せます。
今週の蛍も無理かもです。テンのトリミングもつれていきたかったですが
ちょっと無理かもです。
すみません。頭が混乱してるので、明日以降また連絡します。
本当にごめんなさい。
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私たちは、2014年の11月に出会いました。
当時、ウディ夫は東京在住で仕事で大阪に来ることがあり
私も関西在住で、難病の指定をうけてから3年弱の頃です。
初めて会って意気投合✨
2回目には、お付き合いをしたいと言っていただいたのですが
私が難病の話をどう切り出していいかわからず。。。
誠意をもってお返事するためにも話さなくてはいけないことがあるので
考えるために少しお時間いただきたいとお伝えして帰宅したら、
ウディ夫の方から
「もしかして〇〇(病名)か、多発性硬化症ですか?」との話が
LINEで送ってこられ
次のデートは出かける前に、両親に挨拶させていただきたいとまで。。。
「病気を抱えている娘が外出したりすると、ご両親も心配されるだろうから
僕と付き合っていて、僕と外出する際は責任を持つことを
伝えておいた方が、ご両親も安心だろうし
お付き合いしたいということは、もちろん出会ったばかりでと思われても
その先には、結婚を考えているということだから
ちゃんとしておきたい」と。。。
12月初旬のデート前に、両親とお茶をしたのですが
両親はいきなりすぎて困惑していました🫣
この頃の私は、自分が病気であることを
ものすごく引け目に感じていて、好意を持ってもらっても
人とどう付き合っていいのか、悩んでいました。
言い辛いことを先に察して、そのまま受け入れてくれたことが
とても嬉しかったと、今でも鮮明に覚えています。
(同病の方なら、わかってくれそうな気がします)
友人には病気のこととか弱音を話てこなかったからか
「ジェシ子はモテモテだったのに(←単に行き遅れてた私への社交辞令ね)、
今まで結婚せず、今回の人と結婚しようと思った決め手は?」
と、友人によく聞かれたけど
「安心して死ねそうだから😇!」って答えてました。
持病があるので、もっと悪化してしまった時や
人生終わるときに、この人が傍にいてくれたら
安心して逝くことが出来るだろうな。。。と、その時はそう思ってで
ウディ夫にも、この話はしていて
私をしっかり看取ってくれるって言ってくれてたのにな。。。🥹
そこからは、大阪、東京の距離も気にならないくらい一緒にいて
私の通院にも都合をつけて、毎回付き添ってくれていました。
関西で、すぐ一緒に住みだし、コタロー(チワワ)を迎え
出張も一緒にいっていました。
東京に引っ越して、てん助(ポメチー)を迎え
私が通勤必要な場合は、行きも帰りも時間と経路を合わせてくれて
PC入りのかばんは常に持ってくれて、座席も確保してくれたり
どこに行くのも一緒が当たり前でした。
当人同士の性格や、やり取りの中で喧嘩になることはなく
共通の知り合いには、「本当に仲がいいね」といつも言われていました。
ただ、ウディ夫が私と出会う前から抱えていた問題や環境的に
一緒にいることができないようなものがあり
黙っていたことや、嘘をついていたことを知ってからは
別々で暮らしていたんです。
ウディ夫にしたら、一緒にいたいからこそでも
私とは全く関係ないし、私が関与すべき問題ではないので
ウディ夫自身がどうにかするか、しないかも決めるべき問題のため
別れ話も何度もしてきたのですが
「わかれたくない」
「ジェシ子は別れていると思って自由にしていいから
何とか解決するから、それまで
この家でコタローとてん助と暮らしていてほしい」と
話し合いは毎回、上記のことを繰り返すばかりなので
私も病気の再発などもあって中々難しかったものの
ただ、本当に何年もは私もダメだ!!と思い
仕事や病状も安定した2022年の年末から、
家を出るために準備や関西の物件を探したり
友人に代わりに物件見てもらったりして
ようやく決まりそうで、出ていく話をする約束が
最初のウディ夫のメールにある「蛍」を見る約束の日でした。。。
冒頭の「連絡ごめんなさい。」も、
話をするために会う約束以外の連絡はやめてくれと
LINEなどのやり取りも絶っていたからです。
死人に口なしで、ウディ夫には弁解するチャンスもうないので
この問題については、明言は控えますが
頭のかたい私には、理解できない難しい問題で
この件を知る友人は一緒に悩んでくれていました★★★
こんな、前途多難な中でウディ夫の終わりが始まりました・・・
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